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広島空港の17本の柱は世界につながっていた!移設に国土地理院も協力した驚きの理由

広島空港の17本の柱
広島空港の17本の柱

広島県三原市にある広島空港。ターミナルの近くに、不思議な角度で立つ石の柱があることをご存じでしょうか。 実はこの柱、世界各地の空港を指し示すように設置された彫刻作品なのです。 しかも2025年の移設では、国土地理院の協力によって向きや角度を再計算していました。 かつて32本あった柱は、現在17本に。 広島空港が開港33周年を迎える2026年10月29日を前に、三原から世界へとつながる不思議なモニュメントと、その背景にある歴史を調べてみました。

広島空港にある不思議な柱、その正体は?

広島空港のターミナルビル近くには、石や金属でできた柱が並ぶモニュメントがあります。 柱はまっすぐ上に伸びているものばかりではありません。斜めに傾き、それぞれ異なる角度で地面から突き出しています。 なぜ、このような不思議な形をしているのでしょうか。 実は、これらの柱には一つひとつ意味があります。 作品の名前は「地球・一個の球体のために」。 彫刻家の岡本敦生(おかもと・あつお)氏が、1993年の広島空港開港に合わせて制作した作品です。 広島県の公式説明によると、それぞれの柱は世界各地の都市にある空港のロビーへ向かうように設置されています。 つまり、ただの装飾ではありません。 三原市の地面から、遠く離れた世界の都市へ向かう直線を表現した、地球規模の彫刻なのです。

柱が指しているのは、地球の向こう側!

この作品の面白さは、地球が丸いことを意識している点にあります。 例えば、三原から海外の都市へ向かうとき、普段は地図の上で東西南北の方向を考えます。 しかし、この作品が表現しているのは、地球の表面に沿った道順ではありません。 広島空港と世界各地の空港を、地球という球体の中を通る一本の直線で結ぶという発想です。 そのため、柱は単純に目的地の方角へ水平に向いているわけではありません。 地球の丸さや、それぞれの場所の位置関係を考えた角度が必要になります。 目の前の柱が、地面のずっと向こうにある別の国の空港を指している。 そう想像すると、何気なく見ていたモニュメントが、まったく違うものに見えてきませんか。

もともとは32本!1993年に誕生した壮大な作品

現在のモニュメントには17本の柱が設置されていますが、実は最初から17本だったわけではありません。 1993年に広島空港が開港したとき、ターミナルビル正面に設置された柱は32本ありました。 岡本氏の説明によると、柱の直径は約70センチメートル、長さは約4メートル。 それぞれが異なる角度で地面から突き出し、世界の国際空港と広島空港を結ぶ直線を表現していました。 作品に使われたのは、さまざまな大陸から産出する石などです。 異なる土地の素材が一つの場所に集まることにも、意味が込められていました。 岡本氏は、この作品に世界平和への願いを託しています。 単なる空港の開港記念碑ではなく、世界各地の人々とのつながりを感じるための作品だったのです。

2025年に移設!32本から17本になった理由は?

開港当初からターミナルビル正面にあったモニュメントですが、その後、空港の施設整備に伴って移設されることになりました。 広島県の公式資料によると、駐車スペースの確保や利便性の向上などが移設の背景にありました。 2022年から移設プロジェクトが進められ、2025年にはターミナルビル左側のモニュメント広場に17本の柱が再設置されました。 もともとの32本から、現在は17本になっています。 ただし、今回確認した公式資料だけでは、再設置されなかった15本の保管状況や今後の扱いまでは分かりませんでした。 ここで興味深いのは、単に柱を別の場所へ移動させただけではなかったことです。 この作品には、普通の彫刻とは異なる難しさがありました。 それが、柱の向きと角度です。

数メートル動かすだけでも、計算し直さなければならない?

一般的なモニュメントであれば、移設先でも元の並び方を再現することで、作品の姿を残せる場合があります。 ところが、この作品は違いました。 一本一本の柱が、地球上の特定の場所へ向かうように設計されているからです。 設置場所が変われば、世界の空港へ向かう直線の方向や角度も変わります。 岡本氏の説明によると、新しい設置場所の緯度・経度・標高をもとに、計算をやり直す必要がありました。 さらに、1993年当時と現在では、地上の位置を求めるために使われる測量技術や計算方法も変化しています。 現在は人工衛星などを利用し、地球の中心を基準とする三次元的な位置情報を扱うことができます。 つまり、彫刻を移設するために、地球上の位置を精密に計算する作業が必要になったのです。 アート作品の移設に、ここまで本格的な測量の知識が関係していたとは驚きです。

国土地理院が協力!17本の柱が再び世界へ

移設に伴う計算の難しさから、岡本氏が協力を求めたのが国土地理院でした。 国土地理院は、日本の地図作成や測量などを担う国の機関です。 広島県が公開した岡本氏のコメントによると、国土地理院の職員2人が、新しい設置地点における柱の角度の計算に協力しました。 その計算結果をもとに、2025年、17本の柱が新しい場所に設置されました。 注目したいのは、作品の見た目だけでなく、もともとの考え方まで引き継ごうとしたことです。 世界の都市と広島空港を一本の直線で結ぶ。 その意味を守るために、彫刻家と測量の専門家が力を合わせたのです。 1993年に誕生した作品が、30年以上の時を経て、現代の技術によって新たな姿になりました。 芸術と科学が結びついた、三原にある知られざる取り組みといえそうです。

実は標高330メートル!三原の山の上にある広島空港

このモニュメントがある広島空港そのものにも、地理的な特徴があります。 国土交通省が2024年4月に公表した「広島空港脱炭素化推進計画」によると、広島空港は標高約330メートルの山間部に位置しています。 空港用地は、山を削り、谷を埋め立てるように土を盛って造成されました。 三原市の観光情報では、滑走路の長さは3,000メートル、空港の敷地面積は約197ヘクタールと紹介されています。 197ヘクタールは、約197万平方メートル。 東京ドーム約42個分に相当する広さです。 これほど大きな空港が、三原市の山間部に造られているのです。 海沿いの城下町として知られる三原市ですが、少し内陸へ進むと、まったく異なる地形が広がっています。 広島空港は、そんな三原の地理的な多様さを感じられる場所でもあります。

空港ができる前、そこには集落と学校があった

広島空港がある場所は、昔から飛行場だったわけではありません。 三原市教育委員会が公開している「わたしの想い出20 広島空港」には、空港建設前の用倉地区の様子が記録されています。 そこには広大な森林があり、戦後には開拓団が入植していました。 地域の人の証言によると、多いときには50戸ほどの家があり、遠く沖縄から移り住んだ人もいたそうです。 人々は家を建て、畑を耕し、生活を営んでいました。 子どもたちは、ふもとの北方小学校まで長い山道を歩いて通っていましたが、1951年には用倉分校が開設されました。 三原市の公式サイトには、当時の分校や校庭、周囲の自然を写した写真も残されています。 現在は飛行機が離着陸する場所にも、かつては人々の暮らしがあり、子どもたちが学ぶ場所があったのです。 空港の歴史を知ることは、その土地で暮らしていた人々の記憶に触れることでもあります。

広島空港は2026年10月29日で開港33周年

現在の広島空港が三原市本郷町に開港したのは、1993年10月29日です。 2026年10月29日で、開港から33年を迎えます。 この33年間で、空港の周辺環境や施設は変化してきました。 その中で、開港当初から世界とのつながりを表現してきたモニュメントが、2025年に新しい姿で再設置されたことには特別な意味を感じます。 かつて森林や集落があった三原の山の上に空港ができ、そこから国内外へ多くの人が行き来するようになりました。 そして、その場所には世界各地の空港を指し示す17本の柱があります。 三原という一つの場所から、世界へ。 広島空港の歴史と、このモニュメントの物語には、どこか共通するものがあるように思えます。

次に広島空港へ行くときは、17本の柱にも注目!

広島空港を訪れると、飛行機やお土産、レストランなどに目が向きがちです。 しかし、ターミナルビルの近くには、こんな不思議な物語を持つモニュメントもあります。 作品名は「地球・一個の球体のために」。 現在は、ターミナルビル左側のモニュメント広場に設置されています。 17本の柱がそれぞれ異なる角度を向いている理由を知ると、見方が変わるかもしれません。 その柱の先には、遠く離れた国の空港がある。 そんなことを想像しながら眺めてみてはいかがでしょうか。 空港を利用する予定がなくても、立ち寄った際に見てみたい三原の発見スポットです。 いつも見慣れた場所にも、まだ知らない物語が隠れている。 これからも「三原市まち歩き」では、そんな三原の「知らなかった!」をお届けします。

参考資料・出典

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