自由なのに基本がある?やっさ踊りの楽しさを読み解く

三原の夏を彩る「やっさ踊り」。思い思いに踊れる自由さが魅力ですが、実は4つの基本があることを知っていますか?その基本が定められたきっかけは、1970年の大阪万博。さらに歴史を調べると、独特な足の動きや、80番以上ある歌詞など、意外な発見がありました。知ってから見るともっと面白い、やっさ踊りの魅力をひも解きます。
まずは足元に注目!やっさ踊りは「足の踊り」
「やっさ、やっさ!」 三原の夏になると響き渡る、威勢のよい掛け声。三味線や太鼓、笛などのにぎやかな音に合わせて、人々が思い思いに体を動かします。 そんなやっさ踊りですが、実は「足の踊り」ともいわれています。 三原やっさ祭り公式サイトによると、やっさ踊りの特徴は、決まった型にとらわれず、はやしのリズムに合わせて自由奔放に踊れること。 同じ曲で踊っていても、手の動きや体の使い方は人によってさまざまです。 全員が同じ動きをしているかだけでなく、足運びや体全体の表現を見比べてみると、それぞれの個性が見えてきます。 実は、この自由さこそが、やっさ踊りの大きな魅力なのです。
自由なのに、なぜ「4つの基本」がある?
自由な踊りとして知られるやっさ踊りですが、実は4つの基本があります。 ① 足は二段ばね ② 手は招くように動かす ③ 体は左右に動かす ④ 笑顔で踊る 足を弾ませ、手で招くような動きをしながら、体全体を使って踊ります。 そして面白いのが、4つ目の「笑顔」です。 足や手の動きだけでなく、表情まで基本に含まれているのです。 では、昔からこの4つが決められていたのでしょうか? 実は、そうではありません。 三原市歴史民俗資料館の資料によると、これらの基本が定められたのは、1970年(昭和45年)の大阪万国博覧会への出演がきっかけでした。 万博への出演を機に基本が整理され、演奏のテンポも少し速くなったといいます。 つまり、長年自由に踊られてきたやっさ踊りに、後から共通の基本が加わったのです。 自由な表現がなくなったのではなく、受け継がれてきた動きと共通の基本が、どちらも大切にされていると考えられます。
右手と右足が一緒に動く?昔から残る「ナンバ」
やっさ踊りには、長く踊られる中で自然に生まれた、独特の型もあります。 その一つが「ナンバ」と呼ばれる所作です。 右足を出すときには右手、左足を出すときには左手を動かすという、同じ側の手足を使った動きです。 三原市歴史民俗資料館は、このナンバを江戸時代以前の所作として紹介しています。 自由な踊りの中に、昔の人々の体の使い方が受け継がれているのは興味深いところです。 また、やっさ踊りは、手足だけではなく全身を使う踊りでもあります。 次にやっさ踊りを見るときは、踊り手の手と足がどのように連動しているのか、少し注目してみてください。 これまで気づかなかった動きを発見できるかもしれません。
昔のやっさ踊りは、もっとゆっくりだった?
現在のやっさ踊りといえば、にぎやかな演奏と活気あふれる踊りを思い浮かべる人も多いでしょう。 ところが、昔のやっさ踊りは、今とは少し違った雰囲気だったようです。 三原市歴史民俗資料館によると、やっさ踊りが最も盛んだった明治時代には、さまざまな集まりが踊りを楽しんでいました。 料亭でそろいの着物に着替え、芸者衆と踊る旦那衆の会。 一方、浴衣姿で思い思いに踊る同好会もありました。 装いや楽しみ方はさまざまで、踊りは非常にゆっくりとした調子だったと記録されています。 さらに、踊りの集団同士がすれ違う際には、互いに掛け声を交わすこともあったそうです。 今と昔では、踊りのテンポも雰囲気も違っていたのですね。 やっさ踊りは、何百年もまったく同じ姿で続いてきたのではなく、時代とともに変化しながら受け継がれてきたことがわかります。
なんと歌詞は80番以上!歌にも隠れた自由さ
やっさ踊りの自由さは、踊り方だけではありません。 実は、歌や演奏にも、その特徴が表れていました。 三原市歴史民俗資料館の資料によると、昔は会や地区ごとに歌詞が少しずつ異なり、演奏するときの拍の取り方も人それぞれだったといいます。 そして驚くことに、確認されている歌詞は80番以上! その中には、童謡などの作詞でも知られる野口雨情が手がけたものもあります。 歌詞には、三原の風景や名物などが取り上げられてきました。 現在、三原やっさ祭り公式サイトで紹介されている歌詞にも、三原城や三原港、桜山、筆影山など、地元になじみのある場所が登場します。 踊りの掛け声やリズムに目を向けがちですが、歌詞にも三原らしさが詰まっているのです。 昔の人たちは、身近な風景や暮らしを歌に重ねながら踊っていたのかもしれません。 やっさ踊りは、体を動かすだけでなく、歌を通して三原の文化を伝えてきたともいえそうです。
始まりは1567年?三原城の築城を祝ったという伝説
やっさ踊りの由来として広く知られているのが、三原城の築城にまつわる物語です。 1567年(永禄10年)、戦国武将の小早川隆景が三原城を築いた際、その完成を祝って人々が踊り出したのが始まりと伝えられています。 老若男女が太鼓や笛などの音に合わせ、思い思いの歌を口ずさみながら踊ったといいます。 踊る姿に決まった型はなく、人々が自由に楽しんでいたという伝承です。 ここまで読むと、やっさ踊りは1567年に誕生したように感じます。 しかし、実はもう一つ、興味深い説明があります。 三原市歴史民俗資料館は、踊りの起源が鎌倉時代の「踊り念仏」にまでさかのぼる可能性を紹介しています。 ただし、これは現在のやっさ踊りと同じ形の踊りが鎌倉時代から存在していたと確認された、という意味ではありません。 三原城の築城祝いは地域に伝わる由来。 踊り念仏との関係は、さらに古い時代に踊りの起源を求める説明です。 この二つを分けて考えると、やっさ踊りの歴史をより深く知ることができます。 一度の祝いの踊りがそのまま変わらず続いたのではなく、人々が時代に合わせて踊り方を育て、受け継いできた。 そんな長い文化の歴史が見えてきます。
実は「やっさ踊り」と「やっさ祭り」は歴史が違う
ここでもう一つ、知っておきたいことがあります。 長い歴史を持つやっさ踊りですが、現在の「三原やっさ祭り」が始まったのは1976年(昭和51年)です。 それ以前は、やっさ踊り、花火大会、子どもの夏祭り行事などが、別々の団体によって開催されていました。 これらを一つにまとめ、より盛大な祭りにしようと誕生したのが、三原やっさ祭りです。 つまり、「やっさ踊り」そのものの歴史と、「三原やっさ祭り」というイベントの歴史は同じではありません。 古くから地域に根づいていた踊りが、時代を経て現在の夏祭りへとつながっているのです。 踊りの歴史だけでなく、祭りとしての成り立ちを知ると、三原の夏の風景もまた違って見えてきます。
次にやっさ踊りを見るなら、ここに注目!
やっさ踊りの歴史や特徴を知ったら、次は実際の踊りにも注目してみましょう。 まずは足元。二段ばねの動きは見えるでしょうか。 次に手の動き。右手と右足、左手と左足を同じ側で動かす「ナンバ」の所作にも注目です。 そして体全体の動きや踊り手の表情。 同じ曲に合わせていても、どんな違いや個性が見つかるでしょうか。 さらに歌詞に耳を傾ければ、三原の風景や文化につながる言葉を発見できるかもしれません。 すべての踊り手が同じ動きをするわけではありません。その違いを見つけることも、やっさ踊りの楽しさの一つです。 自由に踊りながらも、受け継がれてきた動きや共通の基本がある。 それこそが、やっさ踊りの奥深い魅力なのかもしれません。 次に「やっさ、やっさ!」という掛け声が聞こえてきたら、ぜひ踊り手の足元にも注目してみてください。 いつもの三原の夏に、また一つ新しい発見が生まれるかもしれません。
